博士の愛した数式

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)



無味乾燥な数式に文学的な感性を付与する、というのが最高にいけてると思った。
隙のない作品で、作者のこの作品にかける熱意が伝わってくるように感じられます。特に書き出しが素晴らしい。
福田和也が「周到な作家」と小川洋子のことを評していましたが、その通りだと思いました。『IP』を描いた阿部和重にも似たような節があります。こうした作品はそうそう書けるものではないと思うので、今後もこのレベルの作品を連発してもらえるのかと言うとそれは怪しいのかもしれません。
映画化されるのも納得の快作です。

天平の甍

天平の甍 (新潮文庫)

天平の甍 (新潮文庫)



鑑真渡来にまつわる仏教徒らの苦難の日々をつづった小説です。
とにかく背景となる歴史事実の量に圧倒されます。ちょっとやそっと調べたぐらいでは到底書ける代物ではありません。井上靖の歴史家としての力量が示された、と言うべきでしょうか。クールな筆致もいい。絶妙な晦渋さが味になっています。
鑑真の渡来といえば海難ですが、ここにもちょっとしたドラマが用意されています。業行という僧が、数十年かけて写経し続けたその集大成が船で運ばれるのですが、それが海に次々と沈んでゆく。その時の業行の悲痛な叫び。井上靖好きにはたまりません。


私信ですが、しばらくパソコンの前を離れます。

尊厳死/自殺

高瀬舟 (集英社文庫)

高瀬舟 (集英社文庫)




尊厳死にまつわる問題が論じられているので、これに関係の深い小説は無かったろうかと思い探したところ、やはり『高瀬舟』だろうかと思った。念のために断っておくと、この短い文章でこの問題に対して何かしらの回答を試みようとは、毛頭思っていない。
再び読み返してみて、この短い作品に込められているものはやはり根が深く、解決を見ない問題なのだとの思いを強めた。


登場人物は三人。罪人の護送を命じられた同心・羽田庄兵衞と、喜助、その弟。
今回の事件になぞらえるとすればおおむね次のように符合するだろうか。喜助=医師、弟=死亡患者、そして庄兵衞=事の是非を問う傍観者。つまり僕たち。喜助が自身の手で弟を死なせたため、「医師=遺族」という関係が成立している。これは今回の問題を考える上でとても興味深いことだと思う。
今回の事件で思うのは、やはり医師の判断は過信を含んでいるのではないかということ。とても仕事に対して誠意的な姿が想像できる反面、最終的に自身の判断で尊厳死を選択するあたり、なんとも言えない違和感を覚える。
そして家族の反発にも、やはり違和感を覚える。これは医師へ抱いたものとは異なる種類のものだけれど。家族の同意が得られれば、という点が延命治療か否かの判断材料になるというが、果たしてそれは本当に患者の意に添うものなのか。そもそも家族全員が同様にして患者の意志を汲み、同一の判断を下すに至るということが、現実にあり得るのだろうか。
現行のシステムでは患者の生死が最終的に医師と家族に委ねられている。その権限はあまりにヘヴィではないだろうか。


あわせて自殺にも一応触れておかないといけないだろう。
今日自殺は犯罪とされている。尊厳死においてはどうか。
末期患者が延命中止を望むということは、やはり自殺なのではないかと思う。そしてそれを否定する論理には、正当性が無いと感じる。喜助の弟は生活苦から少しでも兄を楽にするために死を選んだ。その行動にも、責められないものを感じる。


「死ぬ権利」というものが頭に浮かぶ。それが否定されるのは、生きていることが無条件に死よりも優越している、との認識があるからだ。しかしそれも結局のところ、誰にも真実が分からない。
ご飯を食べることも、そのために働くことも、生きていくという観点からは「延命」だと思う。養老猛は『死の壁』において、「人間の致死率は100%」と述べていた。生きるということは自身の寿命の残存を減らしてゆく行為なのだろうか。生と死が本質的に同義、とまでは言わない。けれどやはり「生きていく」は「死んでいく」とほとんど同じ意味でもあると思う。


祖母が死にかかっている。
月々にかなりのお金がかかっている。その経済的な負担は本当に厳しい。よくその辛さを知らない人が、「人の生死にそんな金勘定を持ち込むな」と知った風なことを言う。それはとんでもない誤解だと思う。夜中一時間おきに患者の体の向きを変え続ける苦労はどうせ分かってもらえないんだろう。植物状態の患者に延命を施すことが、どれだけ莫大なお金を要するかも知らないんだろう。
延命はしてあげたい。なぜなら死ぬよりは生きるほうがマシと思うから。
同時に死なせてあげたいとも思う。死んだほうがマシだとも思うから。
延命はされたくない。一家が路頭に迷うほどの出費になるから。
同時に死なせたくないとも思う。何かしなかったことによる後悔を引きずりたくないから。


全部現場で起こっていることだ。医師や患者、家族がそれぞれの矛盾した思いを抱えているのが、今日の終末医療だと思う。
高瀬舟』はこうした現場の葛藤を実に見事に凝縮させている。だからこそ、今なお新鮮な問いかけをしているように思える。

星々の悲しみ

星々の悲しみ (文春文庫)

星々の悲しみ (文春文庫)



短編集です。『五千回の生死』同様、テーマが似ています。いや、テーマが似ているというよりも、宮本輝という作家が作品に込める「魂」のようなものが、共通しているように思える。名著です。

五千回の生死

五千回の生死 (新潮文庫)

五千回の生死 (新潮文庫)



短編集です。『幻の光』や『錦繍』とテーマは似ています。人生の鮮やかな一場面を切り取ってくるような。これほど読ませる短編はそう無いのではないかと思います。一本目、「トマトの話」が素晴らしい。

プレーンソング

プレーンソング (中公文庫)

プレーンソング (中公文庫)



例えば『季節の記憶』や『この人の閾』のように哲学的な題材を扱うよりも、本作『プレーンソング』のほうが、よっぽど面白いと思える。
この人の小説は、相変わらず何も起こらない。筋が無い。結局全編を読んでも、主人公がどういう職業に就いているのかとか、登場人物達とどういう間柄であるのかとか、そういう情報も出てこない。どうやら夏の話らしい。海に行くらしい。しかしそれがいつの時代で、どこの海なのか、それも結局分かりはしない。
青春を主観的に回想すると、こうなるんだろうか。そこには余計な説明や、一つひとつの行動の意味なんてものは必要なくて、ひたすら思い出だけが残る。
青春小説だと思う。見知らぬ若者を自分の部屋に住まわせてすごす男の話です。

透光の樹

透光の樹 (文春文庫)

透光の樹 (文春文庫)



映画でちょっと話題になった作品です。
二十数年ぶりに再会した中年男女の、恋の話です。当然ながら純度の高い恋愛小説です。先日、辻仁成の『サヨナライツカ』を恋愛小説として紹介しましたが、本作を読んだ後であれば、それほど感銘を受けなかったのかもしれません。
この作品で非常に興味深いのは、お互いの言葉がお互いの意志とはかけ離れて、像を結んでゆく様です。特に今井郷は山崎千桐へ伝えようと思う思いが、うまく彼女に伝わらずに苦労します。こうした意志と言葉との非対応な関係は全編を通してテーマとなっています。「愛してる」というシンプルな言葉を拒絶するように、のらりくらりと実践を探していく様は、それが愛を深めようという肯定的な感情の成せる業なのか、あるいは愛の崩壊を食い止めようという否定的な感情の成せる業なのか、果たしてどちらなのか。分かりません。こうした作品世界はその根底に、「言葉が全ての意志を代弁することなど所詮できない」という意志を備えているのであって、その点においては本作は他の甘美なだけの恋愛小説とは一線を画しているように思えます。
自分で書いてみてまるで意味が分かりません。まあつまり、無理矢理意味を抽出しようという行為自体、無粋ということなのでしょう。文学は文学、楽しく読めればそれもまた真理。