『季節の記憶』


季節の記憶 (中公文庫)

季節の記憶 (中公文庫)

保坂和志は実践的なポストモダン作家として鳴り物入りで登場してきました。何をもってポストモダンとするのかという大変めんどくさい議論をかいつまんで言うと、この人のポストモダンな点はその文体にあります。
「〜で、」、「〜が、」、「〜から、」が多用されています。つまり一つの文章が異常に長いんです。短い文章がよいとされる世の感性とはちょっとズれています。
ここからはほとんど加藤典洋の引用になるので、『小説の未来』(加藤典洋、八七〜八八頁)を参照していることを明記しておきましょう。
要するに保坂和志の小説には情報量が異様に少ないんですね。およそ近代小説として起こりうること、例えば恋愛だとか災害だとか、小説のストーリーを成り立たせる要素がほとんど無い。にも関わらず淡々とした日常を小説たらしめてしまうところに、保坂和志の全く新しいと目される点があります。とすれば読点を多用する「だらだらした文体」は、こうした空疎な構成の小説を成り立たせるために発明された文体なのかもしれない、という見方ができるわけです。
『季節の記憶』は妻に逃げられた男と息子と、隣に住む独身兄妹との日々を綴った作品です。価値観をめぐる問いかけが頻繁になされています。保坂和志は哲学の四方山話をやたらと好んで小説に取り入れる傾向があるので(それ自体が作風であって私はむしろ好きなのですが)、啓蒙的なものへの嫌悪を持つ方はご注意。