デッドストックについて

こうしていざ作品紹介をしようと思って実際にやってみると、痛感させられることがある。
紹介に値する名作、良作が絶版状態でほとんど入手不可能であるということがあまりに多い。例えば富岡多恵子古井由吉の名作は古本屋を駆けずり回る以外に入手できない。筒井康隆の初期作品なども入手が難しい。そうした第一線からはやや退いた作家らはともかくとして、隆盛の最中にある若手・中堅作家の著作が手に入らないのはいかがなものか。島田雅彦の『彼岸先生』、佐伯一麦の『木の一族』など、紹介できないのは実に残念だ。
こうした状況は文学の発展にとって好ましくないところであるのは、言うまでもない。中島敦のように死後時を経て評価されるような「発見」は、古書を流通させ続けるという、「保存の文化」があって初めて成り立つものだろう。年間のべ七万点もの「新商品」が店頭にならぶ出版業界にあって、採算性の高い著作が優先的にストックされることはある程度やむを得ない。しかしながらそうした商業主義的なものが度外視されないことには、今日の書籍流通の惨状は改善を見ないだろう。
こうした状況を打開するほとんど唯一の方法は、私たちが「よき読者」たることだ。作品の価値を認め、発見し、本当に良いと思うものを買い求めることが、氾濫する悪書を淘汰し、優れた作家を支える結果となる。優れた作品は長く店頭に置かれなくてはいけない。
そして何より、版元の編集者らに、優れた批評人たる資質を求める。文芸編集者らは日本文学の盛衰を担っていると言っても過言ではないだろう。