『石に泳ぐ魚』


石に泳ぐ魚 (新潮文庫)

石に泳ぐ魚 (新潮文庫)

出版差し止めの騒動があり、ようやく改訂版で出版が認められた『石に泳ぐ魚』です。読みたいなあ読みたいなあと思っていてようやく読むことができました。
一応出版差し止めに至る経緯を説明しておきます。本作の主人公である「私」(梁秀香)の親友として登場する朴里花のモデルとされる女性が、名誉毀損であるとして訴えを起こしました。作中における朴里花の顔面についての描写が、本人の名誉感情を著しく傷つける、というものでした。原告と被告の言い分は真っ向から対立し、結局原告の請求が認められて出版差し止めとなりました。戦後、文芸作品としてははじめて出版の事前差し止めが認められた例となりました。報道や政治に関わる書物ではなく、単なる小説がこのような経緯から出版を差し止められることにはかなり多くの反論が寄せられました。僕自身もこの件に関しては不当であるように感じられます。これを判例とすれば世のメタフィクショナルな作品がどれだけ消されてしまうことか。皮肉にも争点となった朴里花の美醜にまつわる記述、特に里花が秀香にコメントをにじりよる場面は、まぎれもなく本作の見所の一つと言えるように思われました。
この小説を読み終えた時に純白で永遠に続く廊下が見えた。先に進むほど明度が落ちるような。いや、僕の心象風景なんぞどうでもいいですが。ポジかネガかといわれれば、そりゃあネガなんだろうなあとしか言いようがない。ところがこの小説を読んで読者が完全に退廃へ向かうのかといえばそうではない。案外、「私」(梁秀香)の体験するいくつもの喪失の中で、「最終的に喪失し得ないもの」を見つけるかもしれない。秀香は見つけられたのか。多分、見つけられたのではないかなあと思う。
この所有と喪失のゲーム、どちらかに力点を置くかで、読書の価値は増減するかもしれません。