さようなら、ギャングたち


さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)


高橋源一郎のデビュー作にして稀代の傑作。なんでこの路線のまま作家活動を続けていってくれなかったのだろうと思うと、ポストモダン文学は実体のない代物だったのかなぁという気がしてきます。現在の高橋源一郎は、なんというか近代文学史の知識とポルノグラフィーでなんとか自身の立ち位置を確保しているように見えます。痛々しい。
なにはともあれこの『さようなら、ギャングたち』が傑作であることは本当に疑いようがない。本作のどの頁からどの一文を抜き出してみても、その異化作用がある種の極限まで昇華させられているように思えます。
以前紹介した『ジョン・レノン対火星人』にも同様の指摘ができるのですが、作品の背景に全共闘時代が見え隠れする。いや、想起させずにはいられない。本作におけるギャングたちの死に様、あるいは『ジョン・レノン対火星人』における東京拘置所の件。これら過去の出来事がメタファとして詩的に描かれるところに、高橋源一郎のポストモダニスト全共闘時代の作家としての意義があったように思える。やはり、もう役目を終えてしまった作家ということなんでしょう。
強いて高橋源一郎を擁護して可能性を見出すとすれば、それは最近加藤典洋が唱えている「脱テクスト論」としての作家へといち早く変貌を遂げること。私見ではありますが、恐らく現在脱テクスト論といえる作家は、高橋源一郎の他には大江健三郎阿部和重保坂和志などでしょう。彼らをひと括りにする分類法は未だ文壇では出現していません。今日の汎テクスト論とでも言うべき状況が今後どうなるかは分かりませんが、もしその帰趨が動くとすれば、高橋源一郎大江健三郎のように一度戦線離脱した作家にも再びチャンスが巡ってくるように思えるのです。
…気づけば全然レビューしてないですが、『さようなら、ギャングたち』、おすすめですよ。