春琴抄


春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)


この読み応え。いや、どうしてもこの文体が辛い。句読点が省かれた語り部形式が。でもきっとこの文体があってこその作品なんだろうなあと納得するほかない。
盲目の春琴に仕える佐助という男が、主人の負った顔の怪我を見るまいとして自らの両目を針で刺す話です。これだけだと被虐趣味の小説っぽく感じられますが、中身は非常に味わい深い。特に春琴と佐助の心が結ばれる場面は鳥肌が立つほど美しい。
時々『春琴抄』をして「芸術品だ」という意見を耳にします。これにはちょっと疑問を持っておりまして、じゃあこれが通常の口語体で書かれてたら一体どう受け取られるんだろうなぁと思います。
世の小説はやたら長編が流行っています。京極夏彦の『塗仏の宴』は本屋で見かけたらぜひその厚さを確かめてみてほしいくらいで。どうしてぶ厚い小説が売れて薄い小説が売れないのかはさっぱり分からないんですが、長編、特にミステリーなんかには、明らかに「この記述いらんだろ」と思われるような語りや状況説明が挿入されていたりなんかして、まあはっきりいってそれはぶ厚いほうが単価が高くなって儲かるからなんでしょうね。
どうも昨今の出版事情は作家の創作活動を圧迫しているような気がしてならんのです。現代の作家が『春琴抄』みたいなんを書いたとして、きっと全然売れないんだろうなぁとは思います。思いますが、売れる小説=優れた小説なわけもないでしょう。危ういぞ、出版事情。